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はぎはぎパッチワークのカバンを肩に掛けた2人が、学校に着いてみると、すでにたくさんの子どもたちがいた。大きい子もいれば、小さい子もいる中で、ヨウリンがチビの一番ではなかったろうか。ヨウリンの姉のように、学齢を数年間過ぎてしまった学生がいるし、復学する学生もいるので、大人びて見えるのである。
ほとんどの村人がそうであるように、ヨウリンも、これまで、村の外へ出たことがないのはもちろんであるが、家族以外の人にも接したことがないので、そこにいるのは、知らない人ばかり。特に男の人は、兄にも近寄りがたい気持ちを持っているくらいなので、苦手である。
ヨウリンと姉は、先生のいる部屋へ行った。そこには、角刈りで中背の男の人が、厳粛な面持ちで書類か何かを見ていたが、2人を見つけると手招きした。
「やあ、こっちこっち、手続きに来たんだね。ここでやっておくれ。」
姉はすぐ「先生こんにちは。」とあいさつした。ヨウリンにとって、「先生」は、上の姉が演じて見せてくれて以来、初めて目の前にする。「この人が本物の先生らしい。」しかし、あいにくその人は「見知らぬ男性」である。彼が、ヨウリンを見て、直接何かを聞いたので、ヨウリンは、びっくりして泣き出してしまった。泣きながら姉の後ろに身を隠してしまった。姉は、ヨウリンに比べると、数年早くから世間を知っているので、ヨウリンを後ろから引っぱり出して、「泣かないで!」と言いきかせた。
男性は立ち上がって、できるだけやさしい声に切り替えた。
「おや、どうして泣くんだい。よしよし、泣かないで。チョークをあげよう。ほらきれいだろう。きみは、今からここで勉強することになる良い子だ。良い子が泣いちゃおかしいぞ。先生は泣く子はいらない。さ、こっちへいらっしゃい、手続きをしたら、先生が新しい教科書をあげるからね。」ヨウリンはやっと泣き止み、手続きは姉が代わって終えた。
それから、ヨウリンと姉は、みんなと一緒に遊んで、すぐ友達になった。学校はとても面白かった。午後、先生は、学生たちに教室へ入るようにいい、席につかせた。ヨウリンと姉は同じ机に坐った。小さな教室の中は学生でいっぱいである。
当時は、年齢の離れた兄弟姉妹が同じ机で勉強するのはよくあること、家で見る人がいないとき、小さな弟妹を連れてくることもあった。さまざまな年齢の学生が1つのクラスで勉強するのは、今でもあちこちで行われている。ここで挙げた理由の他にも、小学1年の就学手続きを、隔年に行う学校も少なくない。2年間の就学年齢の子どもを、1つのクラスで教える。(日本でいう複式学級とは違う。)
教室は土レンガ造りで、簡単な窓があって、土間はでこぼこ、黒板は2本の棒で支えてあった。ヨウリンが覚えている教室は、これだけで、とても簡素である。しかし、なぜか、いまさっき泣いたはずのヨウリンは、すっかり学校に恋してしまった。頭の中は、学校ではじめて出会った、友達や先生で、いっぱいである。
そのころ、教室はもう1つあって、そこにも学生がいた。10キロ四方に小学校はこの1校だけである。さっきの男の先生が教室へ入ってきた。学生たちはまだ教科書を受け取っていなかったが、先生も持っていない。
「今から大切なお話しをします。先生の話をよく聞いて、勉強して、知識を身につけるんだよ。それから、遅刻したり早退したりしないように。約束できるかい!」ヨウリンは、どんな話もすばらしい話に思え、嬉しくて、一生懸命に聞いた。
先生は学校に住んではいなかった。家は
倉関峪
(四年生から行く宿舎つきの学校の所在地)にあって、毎日6時間余りをかけて、通勤するのであった。さて、学校が始まって1週間ばかりで、先生が替わった。
彼女は村の女性で、10代に見えるきれいな人であった。3歳ぐらいの子どもを連れていて、うわさでは、結婚して県城(桑植県の県政府の所在地)へ行ったが、事情があって、子どもをつれて村の実家へ帰ってきたのであった。彼女は、代用教員としてここへ赴任したのである。ポン(彭)先生の実家は、学校から近かったが、彼女はこのオンボロ学校に住み込み、子どもは実家の母親に預けていた。
ポン先生の存在はその後のヨウリンに大いに影響を与えることになる。ポン先生は学生のことをとても気にかけてくれた。ヨウリンが風邪をひいて高熱を出した時には、こんなことがあった。
同クラスで学ぶ姉に病欠の届をしてもらい、1日中、上の姉が看病してくれた。病院へは行かないで、村の医者が採取した薬草を煎じた薬を飲んで寝ていた。熱は引いていたが、頭痛は相変わらずひどかった。ご飯も食べられない様子を見て、母は慌て始めていた。病院へ行こうにも、10数キロは歩かねばならない。日も暮れかかっていた。その時、ポン先生が見舞いに来てくれたのである。先生はヨウリンにといって、黒砂糖、缶詰、卵、それに風邪薬を持ってきた。夜になったので、母は何度も泊まって行ってくれるように勧め、ヨウリンもどれだけ願ったことか!ポン先生は懐中電灯を持っていて、夜道を帰るという。ヨウリンはただ黙って、先生を目で追った。
ポン先生には、泊まって行ってほしいが、言えない。ヨウリンは、黙って先生から目を離さなかった。
「だいじょうぶ。明日になったらよくなるわ。」
「……」
「良くなったら、できるだけご飯を食べるのよ。」
「……」
ヨウリンはうなずくだけ。不思議なことに、先生が来てくれただけで、もうすっかり病気のことは忘れていた。
母と姉が先生を送って外へ出た。ヨウリンもそっと起きて見送った。いつまでも、暗い夜道を行く懐中電灯が見えなくなるまで、立っていた。ポン先生は、誰もいない真っ暗な学校へ入っていくのだろうか。それとも、実家へ帰っていくのだろうか。
この出来事以来、ヨウリンはポン先生に、ぐっと近づいていけた。それ以上に、「先生」という職業が、こんなに人の心に沁みる仕事であるのに驚いた。
「わたしが先生になっても、ポン先生のようにできるだろうか。先生はお医者さんでもないのに、来てくれただけで、学生の病気を治してくれた。」
うわさでは、代用教員になる前は、医者だったらしい。中国では、以前から、民間にはさまざまな医者がいる。「文革」時代には、若い「裸足の医者」が多くいたし、民間には古くから、さまざまな療法や薬草などの処方もある。それらの名残りがポン先生の中に生きていても不思議ではない。ポン先生が、学生の身体に関心を持っていたのも、うなずける。彼女は、ヨウリンの虚弱な体質をみぬいていたのだろうか。家族で田植えをしている時など、道を通りかかったポン先生が、ヨウリンの顔色を見て、「代わってあげるから、少し休みなさい。」と、言ったこともある。
ポン先生は、勉強の面でも、学生に厳しく、学生を支え励ました。
「暗誦するものは、夢でも言えるぐらいにしっかりと覚えようね。」
「黒板を写しとるときは、その時にしっかり写し取らないと覚えられないよ。」
ある日の宿題、ヨウリンが時間かけて書いたノートには、何も評価がなかった。姉のノートを見ると、1つ1つ正解の赤い
鈎
印しがあり、最後に満点とあった。
「あなたは、まだわかってなかったのね。もう一度初めからやり直してみましょう。」とうとうすっかり始からやり直して、満点をもらった。
ポン先生は、ヨウリンの頭を撫でて、うれしそうに笑った。
「いい子だね。ちゃんと解ろうとしてやり直したら、解ったわね、すごい。すごい。」
ヨウリンもわくわくしてきた。先生が学生の気持ちを
煽
るのを、心地よく思うたびに、ヨウリンは、心のメモに書き付けていった。
後に、中学では、男の担任、ジャン先生と出会う。ポン先生と似ているのは、厳しい期待を突きつける反面、できる限りの支援を惜しまない。毎日の勉強は、将来社会人として生きることにつながっている。この自負をなんども自覚させるのである。ヨウリンが期待以上の成果をあげても、それでは満足させなかった。
ジャン先生とポン先生の大きなちがいを、ヨウリンは、最近こう話してくれた。
「中学へ行って、私は、初めて方言に注意を向けたわ。ジャン先生は、できるだけ方言を使わせないようにした。小学校では、ずっと方言を使ったから、これがどこでも通用すると思ってきたのね。文型、発音や声調などの違い、そういう違いを厳しく教えた。」
後にヨウリンが代用教員になった時、このことを意識した。村で使う方言と普通語の漢字の中には、発音や声調が、違うことなど、小学校から教えようと思った。
「村出身のよい人が見つかった!」
新学期が始まって1週間、ポン先生が見つかった時、ヨウリンの父は、大喜びだったに違いない。男の先生は、ポン先生が見つかるまで、臨時に来ていたようだ。
9年後、父が粘り強く説得して、娘が代用教員を受けてくれた時も、思ったに違いない。
「この娘なら、なんとかやってくれるだろう。」
ポン先生は、やる気満々の代用教員であった。結婚生活はうまくいかなかったようだが、村の教育には情熱を傾けてくれた。彼女は、貧困村から逃げ出す先生ではなく、村を愛し、村の子どもたちを心から大切に考えてくれた。
それから六年後、ヨウリンは、兄を頼って中学校へ進む。三梁徨村小学校から20数キロはあり、11カ村に、この中学校が一つきりである。ヨウリンは、ここでまた、上に述べた尊敬できる若いジャン先生に出会ったが、ここへヨウリンが進学できたのは、この学校には、もうひとり、彼女の恩師となる兄が、中専卒業後、教師としてこの中学校に赴任していたからである。
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