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天平山
での2日目、朝早く、ひとりで山道を歩いていると、川向こうから声がかかった。「おうい!」あとは、手まねきで、丸木橋を、渡っておいで、と言う。赤いほっぺと黒の上下ですぐわかったが、前日学校へ来た中学生であった。
ポリバケツで、小川から水を汲んできて、朝のうちに家族の洗濯をすますのだと言う。大きなたらいには、洗濯物がいっぱい入っている。私と一緒に歩いて話したいけど、洗濯から離れられないので来てもらった、と言った。
「『せんたくねえちゃん』だね。」
昨日は、学校で、『せんたくかあちゃん』(さとうわきこ・福音館)を読んでいた。彼女は笑って、両親は農業で忙しいと言った。
「この村は、ほとんどの家が、3人きょうだいなのよね。」「学校へ行くとき、3人で相談して決めるの。私は、姉が、今、町で働いているから、行けるの。」中学生の彼女は、自分から、積極的に話題を提供してくれる。下に弟がひとりいると言う。
「あしただったら、あの山(‘娃娃魚’の岩から上るらしい)へ連れて行ってあげるから、もう1泊して!」と、こんな提案もしてくれた。
「別の学校へ行くので行けないけど、あの山には、蛇がいっぱいいるって聞いたよ。」
「私が先に歩けばだいじょうぶ。」
8時ごろだろうか、数人の農婦が、その山から、籠を背負って下りてきた。それぞれ内側が鮮やか黄色の木皮を数本分、採っていて、漢方薬の材料として売ると言う。買い方も、この分校の庭までくる。
しばらくして、野良仕事へ行くおばさんがやって来て、まっすぐ私に話しかけてきた。
私には、すぐ、彼女は、耳が不自由で口もきけないとわかったので、そのつもりで、こちらも口を大きく開けて、話した。
「畑のお仕事ですか。」
「夫がもう先に行ってるのね。」
「娘が学校へ行った。いい娘さんなのね。」
私たちは、すぐに子どもたちに囲まれて、彼らの通訳がにぎやかに、割って入った。彼女の誇らしそうなようすから、夫も、2人の娘もみんな申し分がないことが、伝わったので、私がそれを、大声で繰り返すと、小さな通訳たちは、口々に解説を入れた。
「2人の娘は、日本の援助で、進学した。」
「成績がいいんだ。」
おばさんは、愛する夫のいる、畑へ向かうと言っていたのに、しばらくしたら、また分校へやって来た。1リットル醤油瓶ぐらいもある、ずっしり重たいものを、あみやげにしたいと言う。「野草のつけものが入ってるんだ。」と、すぐに小さな通訳たちの解説。
彼女の気持ちがそのまま現われたような、重量感で、ビニールの袋にすき間なく詰まっている。これは、村のどの家でも作る発酵させた保存食だ、という解説であった。
天平山分校は、村のセンターのようで、あらゆる人が、寄って来て、利用していた。
さんしょううおのような、つかみ所のない、ゆったりとした時間、土地神さんの、広々と包み込むような時間、山の生き物たちの、さまざまにめぐる時間を、じっくりと感じた。
ここで、出会った人々、果てしなく広がる、感動的な「物語」などに、私はどうして感謝の気持ちを表わそうかと悩んだ。
帰国してすぐ、家にあった『おおさんしょううお』(三芳悌吉・福音館)を中国語に訳しはじめた。本は、もうほとんどバラバラにちかく、変色も進んでいた。でも、私にとっては、大切な本。まず、早くこれを送り出してから、次の便(関西日中交流懇談会の人に託せる)で別の新しい本を準備しよう、と思った。
送り出してから、ゆっくりあちこちの本屋を探すが、ない。よくよく聞いてみると、そこへは、最後まで思い至らなかったが、絶版であった。運の悪いことは重なって、急いで送り出した絵本は、天平山には届かず、どこか、奥深い山の淵にでも行ったらしい。
現在、聞くところによると、この分校も、学生が減ってしまった。こうして過疎化が進むと、子どもたちは、村を出て、一年生から、‘住読’生にならざるを得なくなる。経済的格差も広がる一方だろうか。
土地神には、一般に神木が寄り添っている。天平山にも老木があった。2度目に訪れた時、老木は土地神の
祠
もろともに倒れ、土地神夫婦は、無傷で、陽に晒されていた。《荘子》に言うとおり、人にとっては、役に立たないからこそ、長寿をまっとうできたと言わんばかりの風景であった。その後、土地神と“娃娃魚”の交流は復活したのだろうか。
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