toppage 学校日記 「(13)  ヨウリン、代用教員の誇りは」

 

(13) ヨウリン、代用教員の誇りは

 かつて、 官地坪 ( グアンディピン ) 中学校の校長先生に ( うかが ) ったのと、同じような質問を、ヨウリンにも聞いてみたくなった。

「あなたは、代用教員といっても、校長先生でもあったのね。今、考えてみて、あなたが自慢できること、誇りに思うこと聞きたいの。」

しばらく置いて、彼女は、きっぱりと答えた。

「新学期、私の学生は、5人でした。2年目は、20人に増え、3年目は、もっと増えます。私の学校から、“失学者”(中学退学者)をひとりも出さなかったことです。」

 何とこれもすごい誇り!先生のやる気を信頼するから、学生たちが増えたのである。となると、これは、当時の学生たちの誇りでもあるに違いない。

 家族の犠牲と支援のもとに、やっと学校へ入学できた学生にとって、先生にやる気がなくて、すぐ逃げられるようでは、勉強は続けられない。先生への夢を持っていたヨウリンと、勉強したい学生たちとの出会い、これ以上の幸せはない。ただ、ヨウリン自身の進学への欲求が満たされていないことを除いては。

 数年前、三梁徨村小学校の教室を訪ねた時、一番前に坐っているおチビさんが、私の目を引いた。「あの子が気に入ったの?」ヨウリンも、笑って言った。

絵本を食い入るように見て、興味津々のようすであった。そのあと、小さな絵を何枚も

描いて、そのたびに、魔よけのおまじないのようなサインを書いて、私にくれるという。

「彼は、まだ5歳で、字はかけないの。」

周りの子が自分の名前を書くのを見て、自分のサインのつもりであろう。

 ヨウリンは、5歳の子どもが入学を希望すれば、断れない。彼女は、隣村の子どもが希望しても、断れない。教育局の「規則」に反すると、指摘されても、ヨウリンは、入学を希望されれば、断れない。彼女を信頼するからこそ、入学を希望するのだから。

「学生が増えれば、先生の手も足りなくなったでしょう?」

「2年目には、近所の中卒の代用教員に来てもらいました。」

「給料は?」

「私の80元のうち、50元を彼女に、30元を私がもらうことにしました。」

「なぜ、そんな分け方をしたの?」

「彼女の家は、私の家よりもっと貧乏だったから。」

「3年目も?」

「もうひとり代用教員にきてもらい、80元を3人で分けました。」

もうこれは、ヨウリン校長の判断である。

 ヨウリンが、代用教員になってはじめて給料を手にした時、そのお金を持って、自分の足で、25キロ余りを歩いて県城にいってみた。その頃は、自動車に乗ることも知らなかったので、両足にまめをつくってひたすら歩いた。

「いろいろ見聞を広めたい、という気持ちからでかけたの。町へ着いたときは、びっくりしたわ。大きな家がいっぱいあって、ビルも初めて見た。お店など並んでいて、人がいっぱいいて、ああ、私の友達も、ここで今勉強してるんだと思ったら、うらやましかった。

数冊本を買って、バトミントン、なわとび、ボール等買って、また、痛い足を引きずって帰ろうと思ったら、途中で、夜になった。道がわからなくなって、人に聞いたら、教えてくれた上に、竹をたばねて火をつけ、持っていくようにと、渡してくれたわ。

少し心細かったけど、必死で歩いた。家へ帰ったら、もう祖母は寝ていました。」

寝る時間は、自然が教えてくれるので、祖母が寝てしまうのは当然。この長い一日は、ヨウリンにとっては、まるで夢の中の出来事であった。

ヨウリンは、三梁徨村小学校で、国の規則からはずれることも、いくつかやっているが、彼女にとっては、祖母が暗くなったら、寝るのと同じくらい当然のことであった。

5歳の子どもでも、隣村の子どもでも、時には4年生の学生でも、三梁徨村小学校を希望すれば、彼女は引き受ける。学生が増えれば、自ら信頼できる代用教員をみつけてきて、いっしょに教える。子どもたちの、かけがえのない今の時間に、共鳴して、大切にする。

ヨウリンは、毎日の仕事に情熱を燃やすことを、怠らないが、「今、勉強したい」という自分の夢も、何度も挫折しながら、同時にずっと燃やし続けていた。

2・3年後、関西日中交流懇談会の支援で、新しい学校が、建つことになった。ヨウリンは、その時も、「かけがえのない今の夢」を、日本側の責任者に訴えている。それまでの支援の慣例からすれば、「まず校舎を建てよう」であったが、ヨウリンに接した関西日中の人々は、彼女の夢に共鳴することができた。そして、2年間中専で勉強できる奨学金を援助することになる。