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刑務所の中に作られた子ども図書館

 人はどこでだれに会うかわからない。どこで誰が聞き耳をたてているかわからない。しかしその場その場で必要と思われることをしゃべるのではなく、私はいつも本音で語ることが必要だと思っている。本音は人との新しい出会いを作るからだ。あるとき識字教育に関する会議で発言を求められたとき、

「もちろん、このようなワークショップや会議開催も必要ですがね、パキスタンのホテルではいつもこのような会議が開かれおり、だれもかれもが口角沫を飛ばしてしゃべっています。カラフルな事業報告書はどのオフィースにもうず高く積んでありますが、果たして現実を改善しているのでしょうか?政府を筆頭に口や言葉ではなく実際の行動こそが必要なのです。皆さん!会議で決めたことは確実に実行して下さい。今は発言を止めて実行する時です。実行!」と私は叫んでしまった。

 すると会場からいくつか賛同の声が上がったが、その中に社会福祉省の女性がいた。彼女は「あなたの本音の発言にとても感動しました。言葉ではなく実行が必要なのです。実はパキスタンの刑務所に収容されている子どもたちが今大変な状況に置かれています。是非私たちの仕事に協力して下さい」と言った。そのため彼女の依頼で、パキスタンの刑務所に収容されている子どもたちのための協力活動を始めことになった。

 私は刑務所に収容された子どもたちの実情は全く知らなかったので、まず全パキスタンで収容されている子どもの実情を記した資料を要請した。しかし、いつまでたっても彼女から報告書や数字らしい数字が示されない。

「なぜ、いろいろの数字が示されないのですか。客観的な実情を知っておかないと、つまり子どもたちが何ヶ所の刑務所にどのくらいの数で収容されており、どのような心理状態におかれているか知らないと何もできないのはおわかりでしょう?それともあなたは、上司から外国人にはそのような詳しい実情を話すなと口止めされているのでは?」と問いかけると、最初は強く否定していたが、やがて「はい」と素直にうなずいた。そして全国の80箇所の刑務所に約7千人の子どもたちが収容されているのを知った。

 私はどの国でも、刑務所に収容された子どもたちの問題に取り組むのは実に困難なことは知っている。それぞれの国の社会的恥部でもあり、国際的な人権問題に広がることも極力恐れているからだ。しかし「協力が必要でしたら私に怪我をした患部を見せて下さい。頭に怪我をしているのに足に包帯を巻いてもなんにもなりませんからね。」と言って刑務所の実態調査をすることを強く要請した。

 こうして初めて刑務所に足を踏み入れた、私は約四千人の大人と約二百名の子どもたち(十歳から十八歳)が収容されている大きな監房を訪れた。看守がいかにも威厳をもって警棒を振り回している。聞き取り調査の結果、貧困や無知のために犯罪者に仕立てられた無実の子どもたちや大人の犯罪に利用された多数の子どもたちの話を聞いた。窃盗、麻薬運び、殺人、浮浪罪などあらゆる罪名がつけられていた。家庭の貧しさからくる無数の小さなジャンバルジャンの目を牢獄に見た。

 調査のとき、「お願いです。僕が捕まっていることを家族に知らせて下さい!僕は誰も殺していない。」と訴えた子どもがいた。これは犯罪を犯した大人が無知な貧しい子どもを犯罪者に仕立てたケースだった。すぐに弁護士に連絡した。

 リーガル・リテラシーという言葉がある。法的な必要な識字による知識を意味しているが、情報化社会と言われながらも、自由に人生を選択できる子どもたちは、世界でも非常に限られている。こうした状況は、パキスタンに限らず世界的な傾向であるが、近年はますます弱年の子どもに武器を渡し戦争の担い手にしたり、犯罪者に仕立てられる子どもの数が激増している。知識や想像は、彼らの精神的な大きな癒しになり拠り所になり、自立の力となるはずだ。私は苦しんだ。なんとかして家庭や社会や知識から遮断された子どもたちを救いたい!知識や本を読む喜びは富裕な人々だけのものではない。

 こうした調査をもとにして、私はこの刑務所での最初の仕事を狭い劣悪な監獄に収容されている子どもに、クリケットやバドミントンなどスポーツ用具を贈呈することであった。成長盛りのかれらを太陽の下でスポーツさせることが彼らの健康を確保する道につながる。刑務所長はこの申し出を承諾した。性急に人権問題として取り上げると、関係者はすぐに実態を遮断するために少しづつ彼らの考えを変えていった。

 そして次に子どもたちの将来の自立のために「新聞紙を再生する紙漉きのワークショップ」を開いた。色とりどりの紙が新聞紙を材料にして漉きあがっていくのを見て、子どもたちは狂喜した。物をつくるということに興奮した。こうした具体的な行動の中から、刑務所側との信頼関係が醸成されてきたとき、本や情報から隔離されている子どもたちの「本が読みたい!新聞が読みたい。」という要望を実現するために、私は監獄内に南アジアでは初めての子ども図書館を設置する活動を開始した。

 この図書館が出来上がるまで実にいろいろの障害があったが、常に粘り強い説得で刑務所や世論を変えていったのが成功の原因だった。そして調査から2年たった2000年の11月、パキスタンや日本の松岡享子さんなどの有志やNPO2050、そしてNGOの友人など約30名からのご協力でラワ−ルピンデイ中央刑務所に収容されている子どもたち(十歳〜十八歳)を対象とした子ども図書館が完成した。建物の全経費は50万円。絵本や物語など1500冊以上が個人や出版社から届けられた。大きな子どもが本を読んでいる絵看板も掲げられた。

 この図書館はウルドー語で「太陽の光」を意味するキランという言葉をとって「キラン図書館」と命名された。太陽の光のようにすべての子どもたちに明るい光が等しく行き渡るようにという願いからである。図書館の建物は六メートル四方だから大きいものではない。しかし建物をチェックしているとき、狭い牢獄から図書館の建物をじっと見つめている大勢の子どもたちの熱い視線を感じた。かれらは必死に助けを求めている。知識は光になるのだと思った。そのため彼らからも図書館の内容についてアンケートを集めた。幸い子どもたちの半数は読み書きができたので、読めない子どもは読める子どもの読書を見て刺激を受けることになった。

 また図書館を運営するボランティアによる識字クラスの開設も計画し、無罪の子どもたちを救うために弁護士を交えた救援会も組織された。子どもの牢獄はパキスタン社会の深刻な矛盾がそのまま反映されている。貧しいが故に犯罪を犯したり、無知な故に投獄されたり、家族から見放されていく子どもたちに、文字や絵や写真や職業訓練を通じて励ましていこうとする試みは、小さくてもこの社会に大きなインパクトを与え始めた。

 また、現在北方の地、7000メートル級の高い山々に囲まれている桃源郷として有名なフンザのカリマバードにコミュニテイ図書館が開設がされている。これは1998年に旅行でフンザを訪問したときに始まったものであるが、1999年年四月に東京子ども図書館の松岡享子理事長と一緒に再訪したとき、フンザの若者たち十数人と一緒に図書館開設のワークショップを開きこの構想がすぐに具体化することになった。

 登山家の長谷川氏を記念して設立されたハセガワ・スクールを訪問したとき、松岡享子氏は子どもたちへ日本の昔話を英語で語った。「むかしむかし・・・」で始まる物語に子どもたちは恍惚とした表情で耳を傾けた。子どもたちのその時の熱意に満ちた嬉しそうな表情はとても言葉では表現できない。物語をきくことは、人がなんという喜びを受け取ることなのか。

 フンザ最後のシャーマンである語り手の話を聞いた。かれの齢はすでに70歳だったが、なぜ彼がシャーマンになったのか、という話を彼は身振り手振りでしてくれた。「13歳のときね。私は山羊や羊を連れて山に行ったんだよ。そのとき山頂の石の上で昼寝をして起きたとき、美しい4人の妖精に出会ったんだよ。なんと驚いた!驚いた!それから私の人生は一変し、山を下りたときには、私はいつの間にか、シャーマンになっていたんだね。音楽が始まると踊り始めたんだ。」かれは実に楽しそうに子ども時代のときのことを思い出しながら語ってくれた。これはカラーシャの村でも、語り部からいろいろと聞いたことがあったが、なんと彼は4000もの昔話ができるといい、実に感動的な物語を語ってくれた。しかし両人とも後継者がいなくて、若い人が耳を傾けてくれないと嘆いていた。

 口承伝承の生命は、文字に表現したり、文字で記録することで残るものではない。物語る世界の大切さを残しながらも、伝承者を育ててゆくことだ。そのためにカリマバードの図書館はたくさんの本を収集すると同時にフンザの文化や伝統を守る「語りの宿」の場所としても機能することにした。また環境破壊から豊かな自然を守るための計画や、若者たちを活性化させる情報を提供するマルチ型の図書館として機能させることとなった。これはフンザのNGOの若者たちが共同出資し、共同で運営するものであるが、私としては、技術援助や出版物などの送付を通じて末長く支援しようと思っている。桃源郷のように、杏の花がきれいに咲き誇り観光客がつめかけるフンザだが、今急激な変化と破壊の中にさらされている。