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この間、イーストアングリア大学のSchooling of literacyという一日セミナーに行ってきました。イーストアングリア大学の、literacy
& development groupが主催で行われたものなのですが、非常に面白かったんです。私はまだまだ英語に問題があって、セミナーのすべてをきちんと聞き取れてるわけではありませんが、私が消化した範囲内で、報告します。
私は、そのセミナーが開催される前々日というぎりぎりに申し込んで、朝5時起きで、ロンドンから電車で2時間のノーリッジまで出かけていきました(実はエッセイ締め切りの3日前というタイミングで、今から思うとよく行ったよなーと思います)。会場入りしたのは私が最後で><もう40名ほどの参加者がレクチャーを聞いていました。参加者は非常に多岐に渡っていて、Literacyを研究している研究者から、先生、学生まで幅広かったです。一人のプレゼンターが、誰かのことばを引用して、こう言いました(ごめんなさいー誰のことばかわすれちゃったんです・・><)
「Literacy―みんながそれについて語っている。でも、それはいったい何?」今回のセミナーにおけるLiteracyは、イギリスの大学に在籍する留学生が抱えるAcademic上の英語の問題から、バングラディッシュにおける成人識字クラスの事例、外国籍児童の抱える言語上の問題、そしてイギリスの学校におけるメディアリテラシーまで、幅広く取りあつかっていました。まず議題として挙げられたのは、「Theory」と「Practice」の乖離です。つまり、アカデミズムにおいて得た知識が、現場で生きていない、という問題です。「Theory」ってよくいうけれど、そもそもLiteracyを教えるモデルってあるのか、皆一様にLiteracyを習得していくわけではないだろうし、「Proper teaching」って一体あるんだろうか、ということが意見交換の中から挙げられました。また、「Literacy skill」っていったいなんなのか?それは、Spellingか、Readingか、Writingか、又、それらを習得したら、Literacyを習得したことになるんだろうか。Literacyって、単に読み書きの問題ではなくて、たとえば、「書かれたものを鵜呑みにするのではなくて、Criticalに読めるようになる」というのも、Literacyではないだろうか、という意見も出されました。でもそれらを教えようとしても、例えば宗教的なもの、政治的なもの、そういった読み物において、そういった能力を要求するのは難しいだろう、という意見も出ていました。バングラディッシュにおける成人識字クラスの事例では、「場所」の重要性が議論されました。成人識字においては、再び「学校に戻る」ということへの抵抗感という問題が提示されました。例えば、識字クラスって、放課後の小学校とかで行われる。大人は、再びそのような場所に行くということに、恥ずかしいとか抵抗感を感じたりする、ということです。また、大人の場合ニーズが多岐に渡っていて、例えば政府による一律の識字政策ではカバーしきれないという問題があります。例えば、商売でつかうことばを読めるように、書けるようになりたい、と思って識字クラスに出席したとする。でも教師は、マニュアルどおりにしか教えず、それでは、個々人のプラクティカルなニーズに届かないですよね?
近年Literacyというものが徐々に注目を集めて、あちこちで耳にするようになってきた。けれど、「いったいそれって何?」という疑問は、本当にそのとおりだと思うんです。今回のセミナーでも、長い間さまざまな現場でLiteracyに関わってきた人たちが、「そもそも『Literacy』って何?」「Literacyって、どうあるべきなの?」という問いに真剣に向き合っていたように、向き合わざるを得ない状況に置かれていたように、思うんです。どんな分野もそうかもしれませんが、「Literacy」という分野は、幅広くて奥が深くて、どんなに勉強しても、どんなに現場の経験をつんでも、どこか掴みきれなくて、もっともっと奥に踏み込まなくてはならなくなる分野なんじゃないでしょうか。長年Literacyの現場で働いてきた人たちが、「Literacyって、そもそも一体何?」という問いに真剣に向き合う、そんな姿勢が、私はとても素敵だなーと思いました。
この一日セミナーは、本当に楽しかったです。エッセイ締め切り前にも五時起きにも
関わらず、行ったかいがあったわ(笑)と思います(^o^)私は、将来何かしらの形で、あのような現場に関われるように、頑張ろうと思います!えいえいおー(^o^)/!
ロンドンは最近めっきり寒くなって、この間初雪がふりました。みなさんお元気で!
伊東 幸恵
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