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人生を主体的に生きるためのクリティカル・リテラシー

人生を主体的に生きるためのクリティカル・リテラシー

ロンドンの保育所で、アルバイトとして働いていた友人から聞いた話です。まだ2歳前後の男の子が、ランチを食べたくないと駄々をこねていたところ、保母さんが砂時計を持ってやって来ました。そして、砂時計を男の子の前に置くと「この砂時計が終わるまでに、なぜ食べたくないのかという理由を考えて、私に説明できるようにしなさい」と言ったそうです。私も友人も、「たった2歳の男の子に言う台詞かしら……」と考え込みましたが、イギリスはこのように、非常に「ことば」に重きをおき、「ことば」の教育を重視する国なのです。

イギリスでは、リテラシー教育が非常に注目を浴びています。私はイギリス、ロンドンにあるローハンプトン大学において児童文学を専攻する際に「Literacy and Education」という科目を受講する機会に恵まれました。「『リテラシー』とは何か」というところからスタートしたこの授業において、先生は繰り返し次のようなことを強調しました。「リテラシーとは、単に読み書きができるということを言うのではありません。『Being able to read』と『Being literate』とは違うのです……書かれているものを『Critically』に判断していく力、ここまでを含めたリテラシーを今考えなければいけません。このようなリテラシーを身につけた人間が、『Being literate』といえるのではないでしょうか。」                  この「書かれたものを『Critically』に判断していく力」を「クリティカル・リテラシー(Critical Literacy)」といい、今現在イギリスの学校においてさかんに叫ばれている考え方であります。この「クリティカルに判断する」という考えは、同時に、私が、イギリスでの勉学において最も苦労した点の一つでした。私は日本にいた頃、知識をできるだけ吸収する、ということに従事した教育を受けていたように思います。しかしイギリスでは、まず本を読んでも「あなたはこの考え方に同意する?それとも同意しない?」という質問を受けます。そして「それはなぜ?」と聞かれ、説明を求められるのです。書かれたものを単に「読む」のみではなく、自ら「識別し、評価し、真偽を判断し、『クリティカル』に読む」というリテラシーが、イギリスでは求められるのです。 書かれたものをそのまま吸収する、ということが受身の姿勢といえるのなら、「クリティカル・リテラシー」は、より能動的な読み方といえるでしょう。これは、言い換えれば、文字に「コントロールされる」のではなく、文字を主体的に「コントロールする」ことのできるリテラシーです。「文字をコントロールできる人は、自らの人生をコントロールすることができる」と、あるリテラシーの専門家は言いましたが、自分の意見を持ち、主体的に物事を判断できる、という「クリティカル・リテラシー」の考え方は、自分の意見を持ち、人生を主体的に生きる、という、より大きなことにつながるようにも思われるのです。        

伊東幸恵 (現在イギリスの大学院に留学中)