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デンマークのユランズ・ポステン新聞の風刺画が世界に示したものとは?
デンマークの新聞ユランズ・ポステン紙の戯画が引き起こした最も深刻な文化摩擦において、イスラムの人々が提起した課題の意味を世界はもっと深く理解しなければならないように思います。つまり西欧へのモスリムの人口流入や力の台頭に対する不安に、デンマーク紙の今回のやり方は徹底した悪意でイスラム教徒を戯画しようとしたもので、どうやったら彼らが一番嫌がるか、どうやったらイスラム教徒がこの風刺画に耐えられるかといったような挑戦的な発想で漫画を掲載しているように思えます。イスラムの預言者の頭に爆弾をつけて、自爆犯にように表現しただけでなく、コーランの文字を文様のようにしてターバンに描いているのです。これはイスラム教徒にとっては考えられないほどの侮辱で、敵意ある挑戦であるのは当然なのです。文化理解とは最も重要な人間理解にならなければならないのです。もちろん表現の自由とは、民主主義社会の中では最も重要な根幹で、民主主義を育てる最大の武器ですが、デリケートな人間の信仰に関しては人々の深い痛みに直接突き刺さるような表現は慎重の上にも慎重にするのが、本当の意味で自由社会を擁護することになるのだと思います。考えてもみましょう!デンマーク王女を、このユランズ・ポステン紙があのような風刺画を使って表現できますかね?この新聞紙が、日本の天皇や皇后を、かって徹底的に戯画された米クリントン大統領と同じように扱って戯画し新聞に掲載したら、外務省や日本国民はどのように不快感を示したでしょうか。それともユランズ・ポステン紙が、かってキリストの戯画の掲載をどうするかと試行したとき、結局は取りやめたときのように裏側で暗黙の不掲載を働きかけるのでしょうか?自由社会だからなんでも自由だとはいいながら、自由社会とは実は非常にいかがわしく不公平な掲載基準をもっているのも事実なのです。
歴史にはインドでのセポイの反乱のときのように、イスラム教徒の傭兵に、銃にブタの油を混ぜて使わせようとした悪意ある行為がありましたが、こうした悪意に満ちた行為は恐ろしい悲劇になって歴史の中に悲しく残っています。世の中で純粋で普遍的な表現というのは人間が編集する限りありえませんが、悪意からではなくもっともっと真実と正義の目で人々に、ユーモアと怒りで衝撃を与えることが必要なのではないかと思います。イラクや中東の石油権益の拡大で始まったアメリカの戦争に対して、自爆した兵士に「もう天国には処女はいないよ。」と戯画したような態度や表現が続く限り、世界は永遠に不幸の中をさまようことになるのでしょう!人間の笑いとは、最も限定された文化の中での笑いであり、ある人々にとっては笑いであっても、ある人々にとっては悲劇的でたとえようのない哀しみなのです。
戯画を掲載したこの新聞社はデンマーク政府直属の新聞ですから、ある意味では国の支援と協力を受けたとも思われても仕方ありませんね。結果的には国が謝罪するしかないのではと思います。しかもデンマーク王妃は2年前に台頭するイスラム社会に挑戦せよと新聞で呼びかけていましたからね、今回の出来事もこうしたラインの続きで存在したのでしょう。北欧社会は現在、かってない豊かな世界を築き、その富を求めて世界中から多くの移民が押し寄せ、イスラム社会からの挑戦を受け不安になってきているので、かれらの優位性を維持するためにはあらゆる一撃を加えようと待っていたのではないのですか。しかし日本を含め欧米社会は、アジア・中東・アフリカなど第三世界の人々の労働力を徹底して利用し自らの国の繁栄や豊かさをもたらそうとするだけで、彼らに伸びる機会は与えないようにする。こうしたやり方に対して、第三世界をはじめ、イスラム社会がメディアや戯画で対応しようにも、主要なメディアはすべて先進諸国が握っているのですからね。いわれようのない悲しみが大きな格差の中から滲み出してくるのです。
21世紀を生きる子どもたちに、このようなことをどのように伝えていったらいいでしょうか?そして今回の事態に対して、日本も日本人もがこの経験から学ぶことは無限にあるのに、真正面から取り上げようとしていない、あるいは関係ない知らぬふりをして通り過ぎようとしている日本のマスコミの態度にはそのうち大きなしっぺ返しが押し寄せてきますよ。かって週刊朝日が諷刺画掲載で危機に瀕したのも皆さま、記憶に新しいところです。ましてや表現の自由の問題が最も先鋭的な形で現れているのは、中国と韓国をはじめ歴史の問題、靖国の問題、教科書の問題であるのは明らかであるからです。日本の皆さま!!対岸の火事ではないのです。母屋が激しく燃えているのですぞ!
S.T
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